切ない響き
【注意】あくまでも私見です。
接客業、サービス業をしているとよくもまあこんなにも世の中色々な人間がいるのね、と驚いたり、カッカと怒ることもあるけれど、どんなことも楽しんでしまうしかない、と思い込もうとしている今日この頃。
でも、時にはこんな患者さんもいる。
名付けて”気をつかいすぎ患者さん”、別名”すみません患者さん”
年配の方の一部には医者信仰じゃないけれど、白衣を着ていたり先生と呼ばれる人には無条件に頭を垂れてしまう方がいらっしゃる。
そんな方は、薬局に入った瞬間からすみません攻撃を開始する。名前を呼んでも、薬の話をしようとしても攻撃はやまない。こうなると太刀打ちできない若輩者。
そんなに言わないで、とお願いしたくなる。
怒涛のすみません攻撃の中、どれだけあの人に自分の言葉が伝わったかが不安になる。
何があの人達をそうさせるんだろうか。
育ってきた環境だろうか。世代背景も十分ある。
今まで一生懸命働いてきて、時には戦争も体験して、日本を支えてきてくれていた人がこんなにも肩身を狭くしてひそやかに、邪魔にならないように、と思って生きていかないといけない状況になっているとしたら、こんなにも切なく辛いことはない。
亡き祖父は戦争のことは決して口に出さず、めっぽう明るい・子煩悩孫煩悩、そして晩年は辛い治療にもひたすら無言で我慢する昔の気質を残した人だったけれど、どんな想いで自分より若い人間のケア・言葉使いを見ていたんだろう。
そして祖母は・・・。
”おじいちゃん、おばあちゃん、○○しましょうね”と子供のような言葉使いでの話し掛けを断固として拒否する人もいるし、医療現場でも話し掛けるときにはきちんと名前で呼ぶといったことが進んでいるが、時には優しくゆっくり大きな声で語り掛けるように話すことも大事だと思う。
マニュアルのある言葉はいらない。
言葉は凶器にもなるが、愛情をしめす手段にもなりうる。
私の言葉はどうだろうか・・・。
あの人達にはどう響いているのだろうか・・・。
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