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就職試験(大学病院への挑戦)

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4年次の9月頃に、就職コーナーで某大学病院の募集を見かけました。実は、3年以降体調を崩すことが多くなり、親から就職活動はせず、国家試験(国試)に合格してから考えるように言われていました。製薬会社希望の友人たちは早々に活動をしていましたし、大手の調剤薬局でも活動は始めて、採用が決まったりしている話を聞くと、どうするかなぁといった焦りはありました。ただ、一度体調をリセットしてからということは私自身も納得はしていましたし、実習担当のA先生からも同様の話がでていました。

ただ、募集を見かけた大学病院は自宅から通勤可能範囲だったのです。それが目をひいた原因です。また加えて大学病院はあまり募集をしないことで有名ですし、大学院まで進学し病院実習を1年間行った人たちのほうが俄然有利でした。

自宅に戻り、親に話しました。実は、募集をみた段階で受験したいという意志は固まっていました。当然、親は難色をしめしましたが、やはり家から通えるというのが最終的に大きな要因になりました。大学病院につきものの当直も自宅から通えれば、その分ゆっくり休めると信じてました。この段階ではまず受からないだろうと思っていました。ただ、やらなかった後悔は味わいたくないので、次の日には教授に推薦状を書いてもらうことをお願いすることにしました。

というのも、実は応募締め切りが迫っていて、一刻を争う状態だったのです。さらに教授は次の日から学会出張という状態。“なんでもっと早く言わないの~!”ってA先生に怒られながらのどたばたぶりです。学会最終チェックのある教授のため、A先生が下書きをし、教授が最後にハンコを押す形になりました。持ち込みしたほうが早い気もしたのですが、翌日に郵送しました。(よく読んだら持ち込み禁でした)

4次まで試験があり、半ば記念受験になるかもとは思いましたが(というか1次で落ちる気100%)、慌てて実験の待ち時間や家でも勉強を始めました。ちなみに、1次は書類審査(推薦状と成績表と志望理由の作文)、2次は筆記試験(薬剤・英語・一般常識)、3次は面接、4次は健康診断でした。さらに英語は問題文も英語というサービスぶり?中高の英語の成績は悪くはなかったのですが、あくまでも現役時代。うろ覚えの知識で太刀打ちできるの?って感じでした。慌てて、大学受験時代に使っていた問題集を持ち出しての勉強です。(私のお気に入りだったので、妹の時にも役立つかな?と思い唯一とっておいたのです。)

なぜか、1次試験は無事通過。研究室の先生方も私自身も驚き。こうなったらやるしかありません。勉強にもいっそう熱が入ります。A先生の配慮もあり一週間は実験はお休みし勉強させてもらいました。英語の医学論文が出題されることが告知されていたので、医学用語、論文の英語を書き出し、覚えたりしつつ、薬理に、一般常識の本での勉強。かなり歴史等の社会に関する常識がない私には一般常識はかなりヘビー。丸暗記にも限界があります。当時の私には鬼気せまるものがあったそうです。

そして迎えた2次試験。皆が賢く見えます。しかもリクルートスーツでばっちりきめている人が大部分。(中にはTシャツにジーンズという男子もいましたが)ちなみに私は、集中するとどんどん膝を開いてしまうので、無難にジャケットとパンツでした。試験は1科目ごとに行われます。一般常識でアンコールワットというのが書けたことしか覚えていません。というか、遺跡がどうのこうのとあったので、お正月にTVでやっていて唯一知ってる名前を書いたのですが、親に聞いたらこれが意外にもあっていたようです。

室内が暑く、途中でジャケットは脱いで、ブラウスも腕まくりしての試験です。もう格好なんてどうでもいい!

薬理の試験は、これまた全く知らない言葉がでてきてびっくり!当時はまだあまり知られていない(もしかしたら私だけ?)酵素に関しての問題です。分類分けなんてお手上げ。適当すら書けないこともあるんだなぁと実感。とにかくできる問題は完璧にすることに方針転換。というか、できる問題のほうが少なかった・・・。

英語は問題数が多かったです。教官もかなり、あおってきます。英語の授業がない日はなかった中高時代のありがたさを感じました。あくまでも他の教科との比較ですが、一番手ごたえがあったのが英語というなんともはや・・・。全部が終了した時には、もはや脱力・呆然。ふらふらと帰宅。そして、結果待ちの日が始まりました。

予定通知日になりました。研究室に行っていましたが、受かったら母から電話がくる予定になっていました。母からの連絡はありません。結局、帰るまで連絡はなし。駅で電話をしたら、届いてないとのこと。
そして次の日、A先生に報告。まあ仕方ないね、といってたところ、母から電話。なんと2次試験合格してました!かなり驚きです。遅れていた分、信じられませんでした。

そして臨んだ面接。この時は教授の助言もありきちんとスカート着用にしました(グレーのスーツ)。思いのほか人数が多く、がっくり。面接を待っている間に何人かと話をしたのですが、話をした人は全員大学院生でした。逆に4年生で受けたことに驚かれる始末。やはり大学院生が即実践力となる分、有利です。また学部生だと国家試験に落ちるというリスクもあるので、自然と大学病院では敬遠されるそうです。(そんなことも知らなかった私)

面接は面接官5人対1人です。後から聞いたところによると、関連病院の各薬局長、事務で構成されていました。志望理由はもとより、卒論テーマや大学での授業、病院へはいったらどうしたいか、何をやりたいかなどかなり突っ込んできかれました。最初は、緊張しすぎて、声が上ずっていました。その割りになんで書類審査で書いた志望理由をまた聞くんだろう、なんて頭の片隅で嘆いたりしていました。

そしてここで、私は大きな事実を知ったのです。合格したら、どこの関連病院にいくか分からないとのことでした。関連病院なんてあったの?って感じでした。もちろん、知ってるような顔をして、どこでも行きますとは言ったものの、内心青くなりながらの退室でした。

面接は午前中だったので大学にいくつもりでしたが、やはり疲労困憊。A先生に報告電話だけして帰りました。家に帰ってから、慌てて関連病院の場所を確認しました。思いっきり遠いところにはないことを確認して一安心。なんとか通えそうでした。(何故か、私も家族も一人暮らしという考えが出てこなかったんです。それだけどっぷり親におんぶにだっこだったということでしょう)

そして、いよいよ発表日。通知書を待ちます。これに通れば、健康診断はおまけです。よほどの異常がない限り合格と他の受験者から聞きました。今回も研究室で電話待ちです。電話が鳴るたびに研究室内にいた皆がこちらをみます。そしてとうとう、私宛の電話が・・・。

なんと、なんと合格していたのです!目がうるうるしてきました。ひとまず先生方に報告。かなり驚かれました。そしてちゃんと働けるの?というこわ~いお言葉も頂戴しました。まだ、この段階ではどこの病院になるかはかかれておらず、健康診断の日程が記されていました。自分の体調に合わせて選べました。

自宅に帰ってからも、興奮さめません。コネがなく、直球勝負だっただけに、本当に本当に嬉しかったです。(これには、後日談があります。部長から聞いたのですが、学部生は院卒よりお給料が安いので←国家試験を通った年で計算されます。病院経営にとっては全てを院卒にするのは経営的にも負担になるそうです。聞いてがっくりしたけれど、まあ入ってしまえばこっちのもん。気にしない、気にしない)

健康診断は着替えやすいようにニットとジーンズでいきました。一緒の人がスーツで着ていたのでお互いにびっくり。特に問題もなく、終了。そして、後日勤務先の決定の通知と事前研修の通知も合わせて送られてきました。勤務先は、残念なことに予想していた病院ではありませんでした。

また研修はなんと国家試験前1週間の連続日程でした。行けるわけないじゃん、と思いつつも行かないとだめかな?と思っていたら、病院から連絡があり、国家試験に専念する旨伝えられほっとしました。またその時に、4月は無給(合格発表は4月末です)、もし落ちたらその場で退職の説明もありました。なにがなんでも、合格せねば、という心境でした。

とにもかくにも、国家試験に合格さえすれば社会人になれるパスポートが支給されました。



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