薬剤師ゆうの薬の話薬剤師になるまで

大学3年生

いよいよ忙しくなってきます。水曜日以外毎日平日は実習です。薬学部は朝一から授業があり、午後はひたすら実習。終わりは18時までが多かったのですが、その後図書館で調べ物をしたりしているとあっという間に時間は過ぎてしまいます。

慣れてきたとはいえ、レポート提出に追いまくられる日々が始まりました。バイトも籍だけおいてある状態でした。臨床に関する授業が中心となり、様々な疾患の授業も始まりました。この臨床の授業はかなり自分でも力をいれていました。とにかく全てが面白かったですといいたいのですが・・・。

この年から始まった生薬。これがかなりの関門でした。まず、名前(漢字)が読めない。挙句にラテン名を覚え、さらに成分の構造式を覚えるという至難の授業でした。テスト前は妹まで動員し(しっかりお駄賃請求されました)、カードつくりに励みました。生薬は実習も苦戦。未知検(みちけん)といって、渡された生薬の3種類の破片から当てるという実習です。もちろん試薬で検査したりするんですが、かなり苦戦気味で裏技で生薬専門の薬局に相談にいったりする仲間続出。(はい、私も行きました。でも判別は難しいといわれ、がっくり)なんとかあっていたのですが、危なかった~。

結構、他の実習でも未知検なるものは多く、かなりどきどきさせられました。なんというか、追い詰められるんですよね。1人ずつ与えられた中身は違うので、1人でもんもんと考える。かなりヘビーでしたが、系統だてながら考えるという訓練にはなったと思います。(当時はそこまで考える余裕はなし。とにかく答えを出すことだけが先決でした)

息も絶え絶えながら、通学し、実習をこなし、テスト受けるといった流れにいた私に夏休み前に嬉しいプレゼントがありました。

学年の特待生に選ばれました。全学年の試験結果・出席率等で判断されるそうです。授業料半額の返還と理事長集団とのランチがご褒美です。家族に伝えたところ、授業料に関しては私が好きなように使っていいといってくれました。なので、家族へプレゼントした残りで、ずっと欲しかったパソコンを購入し(母といったのですが、現金購入ということでかなり値下げをふっかけていました。恥ずかしかったけれど、サービスもしてもらいました。ありがとう、母!)、ISDNの工事を行いました。後にこのことが私を苦しめるとも知らずに、能天気に喜んでいました。

そして迎えた、前期試験・・・。特待生というプレッシャーがかなり重く、必要以上にナーバスになってました。それと同時に体調を崩しがちになっていました。朝5:50起きなのに、夜中の2時過ぎまで起きてたら、体調も崩しますよね。でも当時の私には余裕がなく、いつでも追い立てられていました。家でも試験前はかなり険しかったようです。

気のおけない大学の先生から、“特待生というのは、今ではなく過去の頑張りに贈られるものだから、もらったことにたいしてプレシャーを受ける必要はない”という励ましの言葉をもらったりしましたが、人から何といわれようが、やはり重かったです。

苦しんでの試験は、なんとか無事クリア。ほっとしました。そして、これが後期試験でも繰り返されるかと思うと、我ながらぞっとしました。(家族も同様でした。子供には気を使わない方針の親でさえ、気を使ってくれていましたが当時の私にはそこまで考える余裕はありませんでした)

後期には薬剤の実習もあり、ここで調剤技術を教わります。もちろん現場に出ればその場所でのやり方もあるのですが、憧れていた機械を使うこともでき嬉しかったです。調剤の他に、座薬や錠剤の作り方も実習しました。そして、これが皆で行う最後の実習でもありました。

何度も助けられた仲間と実習打ち上げです。1つの実習ごとに打ち上げをしていたこともあったのですが、あまりにも実習が日常化してしまい、しばらくは遠ざかっていました。留年してしまった友人も加わっての飲み会となりました。(といっても飲めない私はウーロン茶です)

またそろそろ4年次の進路を考える時期にもなってきました。研究室に所属して研究をして、発表するコース(卒論と研究発表が卒業試験を受ける資格になる)と勉強オンリーのコース(途中でテストあり。これに合格しないと卒業試験を受ける資格がない)がありました。

私は短絡的だったのですが、テストを受けるのが嫌なこともあり、研究コースを選びました。どこの研究室にするか悩みましたが、やはり気心知れた先生の下でお世話になることにしました。

そして吐きそうなほどの苦しみ、プレッシャーを味わいつつ、後期試験を乗り越えて、4年次になる春休みに初めての病院実習です。当時は希望者のみ2週間で病院の薬剤部で実習を行います。

私はとにかく調剤希望だったので、迷うことなく実習希望をだし、自宅から比較的近い実習先が決まりました。初めての現場は、とにかく忙しかったといった印象でした。忙しいため、学生への教育といったことはほとんどなく、専ら錠剤集めに専念してました。(私が勤務していた大学病院では、きちんとカリキュラムを組んで教えていましたが、当時は人手が少なかったり、忙しすぎる病院では単なるお手伝いになってしまうこともありました。)病院実習を終え、やはり調剤、それも色々勉強できる大学病院への就職を希望するようになりました。

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いよいよ忙しくなってきます。水曜日以外毎日平日は実習です。薬学部は朝一から授業があり、午後はひたすら実習。終わりは18時までが多かったのですが、その後図書館で調べ物をしたりしているとあっという間に時間は過ぎてしまいます。

慣れてきたとはいえ、レポート提出に追いまくられる日々が始まりました。バイトも籍だけおいてある状態でした。臨床に関する授業が中心となり、様々な疾患の授業も始まりました。この臨床の授業はかなり自分でも力をいれていました。とにかく全てが面白かったですといいたいのですが・・・。

この年から始まった生薬。これがかなりの関門でした。まず、名前(漢字)が読めない。挙句にラテン名を覚え、さらに成分の構造式を覚えるという至難の授業でした。テスト前は妹まで動員し(しっかりお駄賃請求されました)、カードつくりに励みました。生薬は実習も苦戦。未知検(みちけん)といって、渡された生薬の3種類の破片から当てるという実習です。もちろん試薬で検査したりするんですが、かなり苦戦気味で裏技で生薬専門の薬局に相談にいったりする仲間続出。(はい、私も行きました。でも判別は難しいといわれ、がっくり)なんとかあっていたのですが、危なかった~。

結構、他の実習でも未知検なるものは多く、かなりどきどきさせられました。なんというか、追い詰められるんですよね。1人ずつ与えられた中身は違うので、1人でもんもんと考える。かなりヘビーでしたが、系統だてながら考えるという訓練にはなったと思います。(当時はそこまで考える余裕はなし。とにかく答えを出すことだけが先決でした)

息も絶え絶えながら、通学し、実習をこなし、テスト受けるといった流れにいた私に夏休み前に嬉しいプレゼントがありました。

学年の特待生に選ばれました。全学年の試験結果・出席率等で判断されるそうです。授業料半額の返還と理事長集団とのランチがご褒美です。家族に伝えたところ、授業料に関しては私が好きなように使っていいといってくれました。なので、家族へプレゼントした残りで、ずっと欲しかったパソコンを購入し(母といったのですが、現金購入ということでかなり値下げをふっかけていました。恥ずかしかったけれど、サービスもしてもらいました。ありがとう、母!)、ISDNの工事を行いました。後にこのことが私を苦しめるとも知らずに、能天気に喜んでいました。

そして迎えた、前期試験・・・。特待生というプレッシャーがかなり重く、必要以上にナーバスになってました。それと同時に体調を崩しがちになっていました。朝5:50起きなのに、夜中の2時過ぎまで起きてたら、体調も崩しますよね。でも当時の私には余裕がなく、いつでも追い立てられていました。家でも試験前はかなり険しかったようです。

気のおけない大学の先生から、“特待生というのは、今ではなく過去の頑張りに贈られるものだから、もらったことにたいしてプレシャーを受ける必要はない”という励ましの言葉をもらったりしましたが、人から何といわれようが、やはり重かったです。

苦しんでの試験は、なんとか無事クリア。ほっとしました。そして、これが後期試験でも繰り返されるかと思うと、我ながらぞっとしました。(家族も同様でした。子供には気を使わない方針の親でさえ、気を使ってくれていましたが当時の私にはそこまで考える余裕はありませんでした)

後期には薬剤の実習もあり、ここで調剤技術を教わります。もちろん現場に出ればその場所でのやり方もあるのですが、憧れていた機械を使うこともでき嬉しかったです。調剤の他に、座薬や錠剤の作り方も実習しました。そして、これが皆で行う最後の実習でもありました。

何度も助けられた仲間と実習打ち上げです。1つの実習ごとに打ち上げをしていたこともあったのですが、あまりにも実習が日常化してしまい、しばらくは遠ざかっていました。留年してしまった友人も加わっての飲み会となりました。(といっても飲めない私はウーロン茶です)

またそろそろ4年次の進路を考える時期にもなってきました。研究室に所属して研究をして、発表するコース(卒論と研究発表が卒業試験を受ける資格になる)と勉強オンリーのコース(途中でテストあり。これに合格しないと卒業試験を受ける資格がない)がありました。

私は短絡的だったのですが、テストを受けるのが嫌なこともあり、研究コースを選びました。どこの研究室にするか悩みましたが、やはり気心知れた先生の下でお世話になることにしました。

そして吐きそうなほどの苦しみ、プレッシャーを味わいつつ、後期試験を乗り越えて、4年次になる春休みに初めての病院実習です。当時は希望者のみ2週間で病院の薬剤部で実習を行います。

私はとにかく調剤希望だったので、迷うことなく実習希望をだし、自宅から比較的近い実習先が決まりました。初めての現場は、とにかく忙しかったといった印象でした。忙しいため、学生への教育といったことはほとんどなく、専ら錠剤集めに専念してました。(私が勤務していた大学病院では、きちんとカリキュラムを組んで教えていましたが、当時は人手が少なかったり、忙しすぎる病院では単なるお手伝いになってしまうこともありました。)病院実習を終え、やはり調剤、それも色々勉強できる大学病院への就職を希望するようになりました。



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